お金の使い方の本でおもしろいのを見つけました。

お金に関する本はよく買うんですけど、これはかなりおもしろかった。
川北さんの割と好きっていうのもあるんだけど。

この本の別にレビューをするわけではないので、これから話すことは本書からインスピレーションを得たところはあるにせよ、本書のレビューではありません。

幸福は富そのものによって得られるのではなく、富を使ってはじめて得られるのだ
――セルバンテス(スペインの作家)

生きたお金の使い方を、誰だってしたいものだけど、なかなか難しい。私もこれは死に金だったなと思うときもあるし、しょうもない出費を、あとでこれは未来への投資だったんだと自分を無理やり納得させることもある。そうなると、どれが生きたお金の使い方で、どれが死に金なのかさっぱりわからない。

生きたお金の使い方と死に金の基準とは?

ひとつの基準として、「お金が今よりなくても、果たしてそれを買うか」というのがあって、もっともらしい気もするけど、どうも私にはイマイチのように思われる。収入が今の7割だったとしても、欲しいものは欲しいし、物理的に買えないくらい収入が少ないなら、どんなに有意義でも買えないだろう。第一、収入を無視して、これは未来への投資だと考えるなら、それは借金をしてでも買うべきものとなってしまう。この考え方は破産を招く危険な考え方だ。現に、私もしょうもないものに300万円も使ってしまって、その返済に今もなお困っている。私の人生のベストオブ死に金だ。今すぐ消費者センターに相談したいところだけど、買い物とは少し違ったものだし、返ってくる見込みはなさそうだ。

この本の著者は、打ち合わせをするなら1000円のコーヒーのところのほうがいいと言っている。たしかにそうで、私も打ち合わせをするならホテルの喫茶店とか雰囲気のいいところを選ぶ。だけど、収入が月に15万円くらいしかなくて、家賃に7万も8万も払ってたら、コーヒーに1000円は胃が痛む金額であろう。胃が痛くて1000円のコーヒーが飲めないかもしれない。もちろん大事な打ち合わせなら、そこは1000円払うべきだけど、どうでもいい打ち合わせなら1000円払う必要はない。ドトールで充分だ。

だから、どうしても今の収入をある程度考える必要がある。一流企業に勤めていて、これから給料があがって、月給も30万近くあるのであれば、多少は無理をしてもいいかもしれないけど、20万を切るような収入で、今、正社員ですらないなら、よく考えたほうがいい。

それから大事なことは、未来へ投資した代わりに、何を諦めるかということだと思う。
未来への投資に5万円使ったなら、明日の飲み会は断るべきだし、見栄を張って女性にご馳走したりするのもやめたほうがいい。

死に金だと思っていたら……

私事ではあるのだけど、最近大きなプロジェクトに参加することになって、私はほぼ私財のすべてを投げ打って(ややおおげさか?w)、大勝負にでることになった。私の見積もりでは来年の今頃は年収は少なくとも4000万円にはなっているはずだ。

なぜそんなプロジェクトに参加するようになったかというと、ちょっとしたことがしたきっかけで仲良くなったしょうもない飲み仲間がいて、毎晩安酒を共にしていた。それが結構楽しくて、毎晩ベロンベロンになるまで酔って、飲み会からはじまって、焼肉に行ったり、お寿司に行ったりするようになって、ひどいときは、どうせこのあと夕飯3回食べるから今日は食事しなくていいやと考える日もあった。最低の食生活だ。私は参加するたびに、これは死に金以外のなにものでもないと自分にいいきかせ、密かに参加する回数を減らそうと思っていたものの、自宅まできて「みのりさぁーん、飲みにいきましょーー」と声をかけてくるのだからどうしようもない。渋々、私が「私はこの飲み会は実によくないと思っている……」と話し出すと、「またまたァ、そこからの飲み会でしょう!」なんて言われるので、私も気をよくして、「さあ、行こうか!」と先頭を歩いて飲みに行ってしまう。これはまずいと思っていた矢先に、参加者の一人の中国人にポロっと私の仕事の話をしたことが契機で、「ぼくの知り合いにみのりさんにとっても興味を持ってる人がいるアル」と紹介され、そこで仕事を受託したのですが、その先にあるお金の匂いを嗅ぎつけ、無料で仕事をして、首尾よくアウトソース先ではなく経営参加として割り込むことに成功した。

つまり、この死に金がここでまさに生きたわけで、私とその中国人はお金の匂いのしない純粋な友達だったからこそ信用があったといえるし、今までの飲み代は思いっきりペイしてしまったのだけど、じゃあこういう飲み会はどんどん行ったほうがいいのかというと違うように思われる。何にせよ、将来的に起業を考えたりするのであれば、仕事が絡まない飲み会には行かないこと。飲みの席で、仕事の話をしない人は仕事が嫌いなんだから、そこから何か発展することはないから、それがひとつの基準になる気がする。唯一、よかったのは、私とその中国人らはそれぞれがそれぞれの仕事の話をしていたことだった。

未来への投資なら何でもいいのか?

英会話学校に50万払って、3日坊主でやめたら、それは死に金以外のなにものでもないし、資格を取ろうとして、取れなかったらやっぱりそれも生きたお金とは言わない。身銭を切っても頑張れない人というのは世の中にたくさんいて、身銭を切っただけで満足したらいけない。特に、まともなこと(英会話とか資格とか)であれば、案外親とか夫に相談したら、お金をだしてくれたりするもので、発想として、これはそもそも身銭を切らなくてもいいのではないかというワンクッションを置くのが大事だ。特に裕福な家庭の出身者はまずこれを考えたほうがいい。月にもう10万増やしたいのは誰でも同じだけど、それを実現するために、「すまない母さん、こんな年になって恥ずかしいけれど、小遣いをくれないか?」と打診したことのある人はまれであろう。

これと関連することだけど、いい年して親に金をもらうなんて恥ずかしいことだけど、そういう見栄が一番よくない。破産する人は、見栄によって滅ぼされることがほとんどだ。身を崩す人はたいてい借金によるものだけど、その前に親とか知人には借りれなかったのか。その人との関係がどんなに薄くても、家の前で「金を貸してくれ!!」と土下座をしたら、誰だって1万円札の一枚や二枚くれたりするものなんだから、やっぱりそれをしないというのは見栄が邪魔をしている。サラ金で返せないと、いわゆる闇金に行くことになるんだけど、闇金は3万円くらいしか貸してくれない。3万円借りるのに、5万円借りたことにされ、ものすごい利子でアッという間に100万円返さなくてはいけなくなる。借金でまわらなくなってしまう人も、いきなり何百万とか借りて大勝負をしたのではなく、今日を凌ぐ日銭をちょっと借りたばかりに破滅してしまう。だからやっぱり、今日を凌ぐにしても、知り合いとか家族をアテにして恥をかいて、頭を下げたらよかったということになる。

だから、お金を使うときに、これは単に見栄で買うだけじゃないのかと自問してみることだ。これは最低限いつもやったほうがいい。私も安い焼肉に行って、ちょっとした罰ゲームで私がご馳走することになって、大した金額ではないし、ここは私が経営者である(他の人はただの会社員)ところを見せてやろうと、わざわざ「特上縛りにしよう」と自分で言い出し、その特上がバカ高い上に、量も少なくて、結果としてとんでもない金額を払う目になったことがある。しょうもない話だけど、見栄とはこういう小さなところにも影を潜めているのだ。特に男性は、つい「おごってやる!」とか言ってしまいがちだろうから、気をつけたい。おごるにしても、「今日は俺のおごりだ!」と言うのではなくて、会計のときにサッと「今日は出しますよ」と支払うくらいにしておいたほうが上品でいい。おごって気持ちよくなってるくらいなら、「チッ、奢りかよ」と舌打ちしながら、払うくらいのほうがいい。

だらだらまとまりなく話してしまったけど、要するに、私の提案するお金を使う基準として、「このお金は見栄のために使っていないか」をとりあえず最低ラインとして考えておけばいいと思う。これができれば、とりあえずの大事故はないように思われる。

そんなことはわかったから、さっさと金持ちになる方法を教えろ、という人は、億万長者になる行動原理あたりからどうぞ。ダン・ケネディがやっぱりダイレクト出版だと一番いいね。

インターネット・マーケティング最強の戦略

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